あいちゃんより

中澤 愛一郎

日本モーターグライダークラブのホームページにようこそ。

私は代表を務める中澤愛一郎(通称 あいさん、または、あいちゃん)と申します。
最初に簡単な自己紹介をさせてください。

私は昭和22年(1947年)、団塊世代のまっただ中に生まれました。父親がグライダーの製作会社を経営していた関係で、子供の頃からこの世界の人間でした。

高校生になり、当時二子玉川にあった読売新聞社の飛行場で活動していた「学生航空連盟」に加入し、グライダーの操縦訓練を始めました。大学でも同じクラブでグライダーを続け、学生3年生の時に筑波山の斜面風を利用して5時間滞空と獲得高度1000mを達成しました。しかし、大学卒業までに50Kmの距離飛行は達成できませんでした。

大学生の頃、飛行機の操縦訓練を大利根飛行場で始めました。また、当時ドイツから輸入された「Sportavia RF4D」に乗っていました。しかし、このRF-4Dは単座だったため、有効に使用できない状況でした。ちょうど大学を卒業する頃、その有効に活用されていないRF-4Dとそのころ新たに輸入された複座のRF-5を使用したクラブを作らないか、との父親からの薦めで大学卒業と同時に「日本モーターグライダークラブ(JMGC)」を発足させました。

創設者の中澤 貫次

昭和46年(1971)、大利根飛行場にて単座のモーターグライダー Sportavia RF-4Dのみでクラブが発足しました。その後、当時大阪から板倉滑空場へ来ていたSportavia RF-5を借り受けて2機体制での操縦訓練とクラブフライトが始まりました。さらにその後、当時の早稲田大学航空部が所有していた別のRF-5も譲り受け、計3機体制で運航されました。

戦後グライダーの開発・製造はドイツが主導していましたが、時代と共に機体はそれまでの木製羽布張りから、強化プラスチック(FRP)製に移行して行きました。モーターグライダーもその波に乗るように、相次いでFRP製の新しい機体が開発されました。

JMGCはその内のGrob(グローブ)社で開発された G109Bを導入し、段々とこのG109Bが訓練機の主流になって行きました。そしてJMGCは、現在に至るまでG109Bを主力訓練機として使用し、利根川河川敷にある「大利根飛行場」をベースに操縦訓練やクラブフライトを行なっています。

また、JMGCはフライトのみではなく各種部品や消耗品の供給と整備工場を2つ持っています。一つは主にグライダーやモーターグライダーを、もう一つの工場では主に飛行機の整備、修理などを行っています。このように、JMGCではグライダー、モーターグライダー、各種小型飛行機の導入・整備・部品や消耗品の供給、そしてフライトまでをトータルでサポートできる体制を整え、皆様と共に末永く安全な空を楽しんでゆきたいと考えています。

皆様もぜひ、JMGCへお越しください。お待ちしております。

株式会社 日本モーターグライダークラブ
代表取締役 中澤 愛一郎